武田信玄の軍師として有名な山本勘助。
武田二十四将図にも描かれ、小説やドラマにも取り上げられる、隻眼の有名武将である。
この山本勘助が、実は存在しなかったという説が、一時期かなり有力なものとなっていた。
山本勘助が描かれたのは、いずれも江戸時代になってから作られたものばかりだった。
戦国時代の史料には、山本勘助が実在したことを証明するものがほとんどなく、そのことから実在は疑問視されていたのだ。
唯一の史料が、市河文書と呼ばれる書簡で、そこでは「山本勘助」ではなく「山本菅助」という表記があって、これが同一人物だろうという見立てだったのだ。
しかし、ただの書簡が1つ見つかっただけでは証拠としては十分とは言いがたく、山本勘助の非実在説はまだまだ根強く残っていた。
そんな中、平成21年になって、「真下家文書(信玄公御證文)」と呼ばれる新たな史料が見つかった。
それは武田家に関する古文書五点が張られた巻物で、そのうち2点が、武田信玄から山本勘助に宛てたものだったのだ。
また、残りの3点には山本勘助の子孫に関する記述も見られるなど、書状自体の紙質や書体の特徴も含めて、山本勘助実在の可能性が高まった。
もちろん、史料に疑わしい点が全くないわけではない。
また、他の様々な史料において、山本勘助に関する記述が見つからないのも不自然な点である。
武田信玄があえて存在を漏らさないようにしていたのか、はたまた身分などの理由で周囲から隠匿されていのか・・・
まだまだ分からないことは多く、今後のさらなる発見に期待したい。