上杉謙信が実は女性だったという説を、最近よく耳にするようになった。
これはゲームなどによくある戦国武将の女体化の話ではなくて、本当にそうだったかもしれないという話。
ここでは、その証拠(?)を紹介する。
- 生涯不犯(しょうがいふぼん)を守って正室を持たなかったが、大名が正室を持たないのは戦国時代では異例のことだった。
- 上杉謙信の死因が、多くの書物に「大虫で卒す」と書かれている。当時、大虫は婦人病や更年期障害の隠語だった。
- スペインの使者ゴンザレスが国王に送った手紙の中で、上杉謙信のことを「上杉景勝の叔母」と書いていた。
- 毎月十日前後になると腹痛を訴えて、合戦を取りやめていた。月経ではないかと言われている。
- 上杉謙信が存命時に描かれたとされる最古の肖像画では、ひげが描かれていない。当時、武将はひげをはやすのが常識で、ひげが薄い武将は付けひげまでしていたほど。(死後に描かれた肖像画になると、ひげが描かれている)
- 上杉謙信の元服後の初名である長尾景虎。井伊直虎のように、虎の字は女性につけることがあった。
- 女犯戒なのに、家臣・諸大名の妻や姉妹たちと仲が良かった。
- 衣類や甲冑が、真っ赤な色のものや、パッチワーク状のカラフルなものなど、女性が好む色柄が多かった。
- 源氏物語や伊勢物語など、女性向けとされていた恋愛物語を好んで読んでいた。歌会では、女性的な恋愛観の歌を詠んでいた。
- 女性のみに贈られるはずの、源氏物語図屏風を持っていた。
などなど、意外と盛りだくさんである。
ただし、上杉謙信が女性ではないとする証拠もある。
- 高野山をはじめとする、女人禁制で男性しか入れない寺社や霊場にいくつも参拝している。(ただし、家臣が記帳しており、本人が参拝した証拠はないとも)
- 大虫が月経という解釈は根拠不足。また、更年期障害の悪化が直接的な死因になることは、少なくとも現代医療ではないとされている。
- ゴンザレスの手紙は、そもそも所在がはっきりしておらず、現物の確認もできない。また、文書が存在していたとしても、つじつまが合わない部分がある。
- 歌については明確な史料がなく、女性的な表現というのも教養の範囲に含まれるものだった。
- 上杉謙信には妻がいた。(ただし、この説も根拠不明)
そもそも、現在の上杉謙信のイメージは、江戸時代に入ってから作られたものであり、そこまで踏まえないと本当の姿は見えてこない。
結局は、根拠となる史料が出てくるかどうかにかかっており、それが見つかるまでは曖昧な状態が続くしかないだろう。